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郵政「焼き直し民営化法」に反対する!

 郵政法案が国会に上程され、今日(12日)、衆院を通過した。この法案に対する私たちの考えを、ここに取り急ぎ明らかにしておきたい。

 小泉時代の2005年に成立した「郵政民営化法」の見直しは、2009年の民主党中心政権への交代以来、政局の焦点のひとつでありながらも足踏みが続いてきた。民営化法は凍結されたものの、代わって現政権の提出した「郵政改革法案」もまた店晒し状態だったのである。今回は民主党と自民党をとりもつ形で公明党が間に入った。現政権は「改革法案」を取り下げ、凍結されていた「民営化法」のごく一部を手直しする。その経緯から知られるように、結局、小泉民営化に本卦還りしたのだ。TPP論議が追い風として利用されたこと、言うまでもない。

   どこが見直されるのか?

 では、その手直しされる部分とはどこか。小泉民営化法はゆうちょ銀行とかんぽ保険の金融二社について2017年までに株を完全売却することを義務と課した。今回の「見直し法案」では全株の売却を義務ではなく「目指す」とする。ほとんどそれだけの違いである。民営化応援団たるマスコミも、またアメリカの政府及び業界団体も、これをもって「完全民営化が後退」と悔しそうなふりをしてみせる。事実は株完全売却の方向は貫かれているのであって、義務から努力への字句修正は、民営化そのものは肯いながらも小泉カラーにはなお反感を持つ人々の首を縦にふらせるため施された化粧にすぎぬ。

   郵便事業は?

 郵便局会社および郵便事業会社は統合され一社となるが、政府が株の三分の一を持つ親会社「日本郵政」がその全株を持つのは小泉民営化と変わらない。採算を度外視して物流を担う郵便事業が、稼げる金融二社と切り離されてはやっていけないことは、いかな民営化原理主義者でも承知している。だから民営化してリストラに励まさせる一方で、いくらかの政府関与は残しておく。採算がとれないというのは、過疎地でも配達をし、非営利団体には割引しているからだけではない。郵政労働者の交流誌『伝送便』の今月号から引こう。
例えば、近畿圏内の一般の利用者が郵便局に持ち込みで170cmサイズのゆうパックを東京に郵送すると二千円請求されるが、A社では、当然ながら集荷に伺った上で、400円の請求となっている。実に1600円の減額である。八割引きである。全体的に見ても、四割から八割引きという料金体系となっている」(特集『郵便事業の歪んだ構造』)。

 つまり大口利用者=大企業にはべらぼうに安くしているのである。大資本の利潤追求活動を円滑ならしめるため郵便事業は捨て値で物流を担わされているのであり、郵便から仕事を奪いたい民間宅配業者をそれがまたダンピング競争へと駆り立てる。しわ寄せはどこに来るか。郵政・民間宅配業の双方の労働者の強搾取に。小泉時代を前後して郵便事業会社では低賃金の非正規雇用が急増し、いまや社員数の六割以上を占める。郵政民営化は世の中全体の非正規雇用増・格差拡大に向けたアクセルとなったのである。

   民営化そのものに反対しよう!

 私たちが民営化に反対してきたのは、郵便の正規雇用の「既得権」だけを守らんとするためではない。競争原理にさらすことで底辺に向かっての競争=リストラ地獄を強いる構造そのものが打ち破られなければならないのだ。ダンピング競争には規制の手を入れ、従事する労働者の生活が守られなくてはならない。法案を巡る国会での審議がどう展開するにせよ、正規・非正規そして全ての労働者の連帯を追求しつつ職場から抵抗を起こそう。民営化法を吹っ飛ばそう。
(S・H)

●参考サイトです。
http://ubin-watch.ubin-net.jp/uwnews/uwns_46.htm
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# by voice-up | 2012-04-12 13:20 | 労働

山田勇さんの報告

私たちも参加したHOWS講座(3/10)における、山田勇さん(元・全逓東京中郵一特分会書記長)の報告です。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
 
 一分会役員の体験から



[はじめに]
30年程前に全逓東京中郵支部一特分会書記長だった山田勇です。この度は永年の付き合いであったTさんの説得を受け、この場に立っています。何度も「私なんかが出る場ではない」と断りましたが、Tさんとの30数年間の「縁」で断りきれず、恥ずかしながら受けました。そういう訳で物足りない内容ですが私の小さな経験等を聞いて頂ければ幸いです。全く個人的なうろ覚えで、記憶違い等もあると思いますがご容赦ください。

[簡単な履歴]
* 1944(S19)年12月27日 「8ヶ月」の未熟児で誕生。
*   63(S38)年 工業高校卒。学校斡旋で新潟県のステンレス会社に就職。
*   66(S41)年 牛乳配達店住み込みで東洋大Ⅱ部に入学。自治会役員に。
*   68(S43)年 自治会委員長にさせられる。そして「50日間バリスト」へ。
*   70(S45)年 学費滞納で「大学除籍」(この五年間、様々なアルバイトを経験)
*   71(S46)年 東京中央郵便局に就職。

[73春闘まで]
 1970年暮、先輩の仲介で「正職員採用を前提に年末繁忙期アルバイト」として就職。当時は郵便局に「郵便局員募集中」という垂れ幕がかかっていました。私は「局採用」でした。最初は「三交替勤務」にビックリ、「やめようか」と思った。また作業帽に前掛け、雪駄履きの「職人気質」の職場に驚き「ここは本当に丸の内か」と思った。そして71年3月「臨時補充員」、5月「郵政事務員」、6月郵政研修所卒業、「郵政事務官」となる。
 71年秋の全逓支部大会で青年部役員になる。当時、全逓中郵支部組合員は約2700名―10数分会、青年部員は約1000名。青年部役員10名中、民青5名、社青同3名、新左翼2名でした。私の所属分会は組合員390名位、分会役員10名中、共産党系8名、社会党系2名でした。分会青年部役員もそんな感じでした。
また運動実態は外部で聞いていた「全逓運動=企1・2号(長期抵抗大衆路線)」とは大違いだと感じました。しかし局内集会などはまだ出来ていました。
 私は「社会党の人が分会役員」の番(3課三交替=9番)に配属されました。若気の至りで学生時代の調子で職場オルグをして元4回戦ボクサーの先輩に廊下に呼び出され、「お前の言う事は解るが、ここには番の仕来りがある。番役員の顔を立てろ」と言われました。身に沁みる「説教」でした。また共産党系活動家に「生意気だ」とトイレに連れ込まれ殴られました。その後の交流で「お前の話は解った。昔、俺の親父は社会党国会議員の後援会役員だった。親父の墓前で土下座して謝ってくれ」と言われました。彼は後の「全逓分裂」時に共産党中郵幹部に「民間少数組合の厳しさ」などを訴え「分裂反対」を主張しました。そして「新東京合理化」配転後、中郵局内で「事故死」しました。
その後の活動経過はいろいろありますが、当時の全逓運動は「反マル生闘争」から「73国民春闘」に向って「成長」していく過程でした。「宿明け」で様々な行動がありました。
私自身の記憶は分会で『青年労働者』という機関紙を発行し、『古典学習会』を組織しました。それが後の私の「分会活動」の一定の基盤ともなりました。
そして運命の「73国民春闘」です。東京中郵支部も15年ぶりの「スト突入」でした。一番印象に残っているのは事前の「スト突入指令会議」に参加した分会長が何回も「スト突入する訳が無いよ。『暁の脱走』に決まっている」と言ったことでした。私も職場実態から見て「そうなのかな」と思っていました。しかし「スト一週間前」から本部役員が入り「オルグ」が始まるとガラリと雰囲気が変わりました。「スト突入」に向けて緊迫した体制が生まれました。結果的には「4割程の脱落」でしたが私には「客観的条件と主体的条件の統一」の貴重な経験でした。学生のとき経験した「50日間バリスト」のときもそうでした。様々な人間模様に接しました。ひとつは「職人気質」の主任が「来年退職だ。40数年間の出勤簿に『青欠』を付けたくない」と拒否していたのが「義理人情」の説得にキッパリとスト参加したこと。いま一つは、最後まで迷っていた同期の仲間を東京駅南口で待っていたら、彼は「局前集会」を見て「ストは労働者のお祭りなんだ!」と参加を決めたことです。
そして「スト脱落者」への「総括オルグ(スト脱落を反省し、今後はスト参加します)」です。宿泊勤務で寝ずの「オルグ」が一ヶ月程続きました。5月4日「宿明け」で結婚式でした。夜学生時代の無茶な生活や、その他の事情等も重なって「体調」を崩しましたが、なかなか休めませんでした。自分の中に「日和った」とか、「組合病」と言われるんじゃないかという意識が強かったことを覚えています。
一年間ほど組合活動と「体調不良」の板挟みに苦悶した後に倒れました。74年5月から11月まで「病休―休職」でした。「退職」も考えました。自宅見舞い訪問してくれた仲間に支えられ「八割勤務」で復職しました。
 それから退職迄の30年間、「固定番(病弱により日勤勤務に固定する)」でした。当時の中郵では交替制勤務職場の1割位は「固定番」でした。「権利の全逓」の財産でした。そして「寝食を忘れて」「身体を張って」活動することができなくなりました。その後の30年間で「満額定期昇給」したのは91年の「新東京配転御祝儀」の一回だけです。

[分裂までの10年間]
正確ではありませんが75年秋から所属分会・第一特殊分会の分会役員になりました。それから8年間の分会活動の一つは計画課担当で、後に部長や局長になった組合員と「昼休みオルグ」で議論し「業務対策知識」を得ました。
また子供が生まれ共稼ぎだったので「保育問題」にぶつかりました。色々ありますが一番は半年間の「慣らし保育欠勤」です。毎朝1Hの「承認欠勤」を取りました。労務担当上がりの課長と論争して「降参」させて勝ち取りました。「病休の山田」「欠勤の山田」で有名になりました。それが私の活動ブランドでもありました。「なんで親父が子供の看病休暇なんだ、女房はどうしたんだ」という批判に、共稼ぎの「生活実態」や「カミさんの職場実態」なども教宣しました。20数年後に再会した全郵政の課長代理の女性から「娘さんはどうしていますか」と言われてビックリしたことがあります。
次は「固定番廃止攻撃」です。「固定番者が多くて宿泊番要員が足りない。固定番を日勤職場に配置転換して宿泊番要員を確保する」という攻撃でした。私は「固定番廃止反対、強制配転反対」の方針を提起しました。分会役員会は「固定番廃止反対、希望配転実現」でした。「山田は『配転希望者』にピケを張るのか」と分会長から批判されました。結果的には「希望させられて」日勤職場に行った人の何人かは退職し、何人かは組合批判者になりました。私への支持も少し出来ました。「資本主義的合理化絶対反対」の論争でした。
その他、似たような課題を幾つか経験しました。多くは「個別課題」でした。今から振り返って見れば、そういう闘いや経験を他分会に広げる、支部全体の思想的組織的運動に高める、階級的組織建設をするという視点は非常に弱かったと思います。「党派的学習会」はやっていましたが「思想性=党派性」は全く不十分だったと思います。
また地域活動や他労組との交流・連帯・共闘は、私は殆んど経験していません。私自身が「病弱者」であったこともありますが支部・分会的にも迫り来る「郵政合理化」の対応に精一杯だったこともあると思います。

[分会書記長の五年間]
そして83年11月、運命の「郵産労分裂」です。色んな議論・経過がありますが基本的には『郵便事業の危機を訴える(郵政合理化)』に対する対立・分裂でした。支部全体で「政治闘争資金」未払い者は700人位、「中郵労組(郵産労前身)」結成は300人位でした。分会では100名程の脱退。その内、中郵労組は70名位でした。
その結果、3課三交替=9番+計画課=280名の分会書記長を命ぜられました。社会党系役員4~5名からのスタートでした。分会長選出で支部と揉めました。彼は新左翼系シンパで「病休取得」等で有名な人でした。私は「混乱期には彼のような、政治判断がテキパキ出来る人が必要だ」と担ぎました。私は自分が「事務屋」的である事を自覚していました。
分会役員体制を確立するまで一年程かかりました。共産党系が強かった課の二番は役員が作れませんでした。結果的には社会党2人、新左翼系4人、組合主義的4人の感じでした。
分会体制を確立しながらの「59・2合理化反対(全国的には鉄郵の廃止でしたが中郵的には慣行休息剥奪反対)」闘争でした。分会的には「速達小包」課の人員削減も課題でした。「全国地域区分局共闘」が作られて、中郵では当局提示の「慣行休息剥奪2・1実施」を「5・27」まで遅らせ、「41H4週7休」まで持っていった事は「全国地域区分局共闘」の一定の「成果」でした。
私自身の記憶は「支部方針に反対と言うなら、丸の内南口で『私たちは16勤で実質8時間労働です。仮眠時間協約は3時間20分ですが慣行で4時間50分です。この慣行剥奪に反対して闘っています』と演説をして署名を集めろ」と支部委員会で詰められたことです。「グーの音も出なかった」記憶があります。もう一点は最終的な支部委員会の「採択」の時に、「職場オルグ」をするために「休会」を要求し、宿直番休憩時間にオルグに入り「状況報告」をし、「分会は『涙を飲んで受諾』せざるを得ない」ことを訴えました。そして再開支部委員会で「涙を飲んで受諾」発言をしました。
その後は「新服務表」交渉です。夜間の休憩・休息時間を巡って23時過ぎまで揉め支部交渉部長から「他の分会は終った、何時までやっているんだ」と怒られました。特殊部長を脅して「妥結」させたことが印象に残っています。
 これが分会を組織して初めての活動でした。後の「60・3合理化」「新東京合理化」の時にも、最後には「一特分会の言い分は解った。じゃ、山田が支部長をやれ。誰が付いてくるかな」と批判されました。勿論、この壁は越えることは出来ませんでした。
 この過程の中で分会、分会青年部体制を創りながら、もう一つは「職場委員会」体制を作ろうと考えました。良く言われる「5人組組織」です。そんなにきれいには行きませんでしたが、私が所属する課では、この「5人組活動」が一定の力を持ったと思います。
そして「分会役員手当」を「分会合宿費用」に当て、分会役員、青年部役員、職場委員を2~30人組織して「分会合宿」を行いました。今も「名ばかり」ですが続いています。
そしてこの年末、この講座を進めたTさんの事件です。この経過も色々ありますが背景は職場慣行剥奪攻撃でした。12月初めにTさんのお父さんが亡くなり、葬儀参列慣習を巡って争いになりました。そして年末繁忙時にTさんが、お母さんからの「お礼の気持」の「おでん」を持参し、冷蔵庫に入れました。これを当局は「酒のつまみ」だと、Tさんに断りもなく撤去しました。父の葬儀への対応や母の気持を踏みにじる当局の対応に怒ったTさんはミーテングの場で副課長のネクタイに手をかけ引きずりました。
この事件を巡って、支部と対立しました。私はこの攻撃の背景には「職場慣行剥奪」攻撃がある。当局の対応は「父の死」や「母の心」さえも認めず踏みにじるものだ。非は当局にありと糾弾・教宣すべきだと主張しました。支部は「暴力」問題はTさんが不利だし「年末慣行」は微妙な問題だから「裏」でやるしかないと言う事でした。
  私は「分会機関紙」で当局の非を教宣・糾弾しました。結果的には「減給3ヶ月」だったかと思います。これも一つの「分会組織化運動」だったと思います。
 そして運命の「60・3合理化」です。「59・2合理化」が「59・5」まで延びた事によって、東京中郵内の「要員合理化」は一年延期になった形です。そして支部的にも「やむなし」の流れでした。具体的にも「過員の特殊部から他職場への配転」ですから「支部全体」の運動になりませんでした。支部提示は3ヵ月前ですから、「59・12」提示だったと思います。
正直、迷いに迷いました。「59・2合理化」は支部を上げての「反対運動」でしたが、今回は「特殊部―1特分会」独自的な課題でした。この一年間、否、それ以前から訴えてきた「資本主義的合理化絶対反対」「職場反合闘争」を具体的に組織できるのか、責任を取れるのかと苦悶しました。「社会主義者の卵」と「分会書記長」との間で迷いました。正直、「書記長判断」で「妥協」をしようかとも思いました。苦悶の中での年越しでした。俺は配転されないという後ろめたさもありました。恐らく組合員は私以上に思い悩んだ「年末始」だったと思います。
年明け1月12日の分会役員会には「経過報告と問題提起」だけしかできませんでした。
そして1月17日、運命の「千代田資本論」学習会です。自分の苦悶を訴えました。民間労組書記長Oさんから厳しい批判を受けました。「そうか、結局お前も土壇場で裏切るのか。今まで言ってきたことは綺麗事だったのか」などと、厳しく「糾弾」されました。今はそのような言葉しか覚えていませんが、民間少数組合でロックアウトや工場閉鎖などの攻撃を闘ってきたO書記長の言葉が胸に堪えました。
そして19日役員会で「処刑場に引かれる罪人のように『3月配転』まで疑心暗鬼にオドオドと過ごすのは厭だ。原則に立ち返って『60・3合理化』反対の意思表示をしよう」とワッペン着用闘争を提起しました。役員会では不安意見もありましたが確認しました。印象に残っているのは新左翼の仲間が「山田さん、それは無理だよ」と言ったことです。それから一ヶ月程かけて「職場オルグ→職場委員会→分会役員会→職場オルグ・・・」をやり、「分会決定」として「60・3合理化反対」のワッペン着用戦術を決定しました。
しかし支部から厳しく批判されました。①分会には「執行権」はない、②支部、地区が認めない戦術に組合員は参加しない、③それでも参加した組合員への処分に、分会は「責任を取れるのか」と詰められました。また、「支部として分会青年部以上の役員に一週間の『腕章着用戦術』をやるから分会戦術は止めろ」と説得されました。動揺しました。廊下に出て分会三役会議をやりました。上述の分会長の一声で「突入」を決定しました。
結果は末端職制以外は殆んどの組合員が「60・3合理化反対」のワッペンを着けました。
その後の経過については詳細は省きますが、約50名の「局内強制配置転換」は始めての事でした。そして「内命」の日、前夜の「飲み会」で「今日は俺の送別会だ。覚悟はできている。大丈夫だ」と言っていた同期の仲間は「内命」を受けて腰を抜かしました。彼は後に千葉へ転勤。そして「事件」で退職。Tさん達と支えましたが後に「自殺」しました。怖かった先輩も「内命」を受けて区分台に掴まりました。心身症の組合員への「内命」を身体を張って抗議した仲間の行動など、胸が痛む光景でした。この二人とは「病休」や「公務災害」等で自宅訪問もしました。退職後も繋がっています。
この「60・3配転合理化」が、以後の私の「人生―労働運動」の原点になりました。
その経過と結果を受けて、その後の分会活動は配転先の「元分会員」の課題も少し取り組みました。「分会合宿」は配転された元分会員をも対象にして行ないました。また「胸章着用」反対、「営業活動」反対の分会方針や、「東京多摩集中局合理化」反対、「新東京局合理化」反対の活動を取り組みました。
印象に残っている一つに「営業活動」反対方針について、ある番の「職制組合員」から「支部は一定の営業活動を認めたのに分会が反対なので職制は局施策との板挟みになっている。分会方針を変えるべきだ」と申し入れがありました。この番の「職制」全員10数名と「宿明け」で昼頃まで議論しました。結論は「分会の方針は解った。これからは分会非難はしない。しかし職制の個別対応も認めてくれ」というものでした。妥協です。この会議を経て、この番の「職制組合員」とも親しくなりました。
また「新東京局合理化」では特に「固定番=病弱者」の配転問題で支部と対立しました。
前述の分会での「固定番問題」と同じような内容でした。結果的には「分会三役会議」で支部書記長が「支部対応は間違っていた」と謝る場面もありました。「自分の仲間を皆の前で謝らせるなんて、山田は酷い奴だ」という非難も受けました。
それはまた自分自身の「配転問題」でもありました。この時も動揺しました。最終的には「新東京配転」でしたが、東京中郵内、都内一般局、居住地神奈川の局が配転対象でした。迷いに迷いました。数人の仲間内会議で「厳しいけれどスジを通す」ことを確認して動揺を喰い止めました。

[新東京局=郵便ドレイ工場へ配転]
そして90年8月「新東京郵便局開局―分会解散」でした。全逓新東京支部は約1800名―10分会だったと思います。「山田を分会役員にするな」ということで私の所属分会の役員体制は遅れました。最終的には私も三特分会書記長になり、一特分会長や四特分会の分会長・書記長などを旧一特分会役員が担い、上部方針に批判的な他分会役員と一緒に「分会交流会」を創りました。しかし上部機関から「敵対組織」と規定されて数人の仲間が「人事交流」されました。「分会交流会」を「職場交流会」に切り変えて「職場新聞」の発行や「4・28交流」「全国大会代議員立候補」などをやりました。
新東京で個人的に印象に残っている活動の第一は、「人事交流」で来た組合員の「自殺」でした。自分なり対応したつもりでしたが夏季休暇中に「自殺」しました。母親の所に謝りに行き、何回目かに「公務災害」を提起したが断られました。「分会交流会」機関紙に「Sさんの死を悼む」という記事を書いて執行委員に非難され、口論になりました。
また「郵便犯罪冤罪事件」もありました。半年以上、苦闘しました。職場からは「あいつが犯人に決まっている」と言われ、支部執行委員からは「山田はMさんの退職金の責任を取れるのか」と詰められました。結果的には「冤罪」でしたが、何時「懲戒免職」が出るか、「自己都合退職」を勧めたほうが良いのか、と迷いに迷いました。
また他局の「心身症休職」問題について、配転仲間と連携しながら対応した事もあります。
自分の事では2000年に、全く自覚が無かったところに「八割勤務での病休取得が通算180日を越えたので『休職』を命ずる」と言われてビックリしました。25年前の事を忘れていました。休職辞令を自宅最寄り駅まで課長に持って来させました。そして1ヶ月後に「復職手続き」を申請したら、「彼方はMHC(メンタルヘルスケア)だから復職は出来ない」と言われました。「何んで?!」「睡眠安定剤が調剤されているから」と言われました。「そうか、敵は仕組んでいたのか」と思いました。2ヶ月後の「復職審査会」で逓信病院の副部長と喧嘩し「復職不可」の口実になりました。他の産業医の弁護や局医とのヤリトリの結果、「復職」になりました。これも「職場新聞」に載せました。

[自分なりの総括]
さて自分なりの纏めです。全く個人的感想をご容赦下さい。基本は「時代に規定されて」生きて来たことです。中味は「3才年上の団塊の世代」だと思っています。
その「総括」の基本は「なぜ、歴史的社会的右傾化にキチンと抵抗できなかったのか」ということです。夜学生時代に先輩に「命令」されて社青同に入り「68-69」を経験し、全逓運動でも「73―75国民春闘」「78-79越年闘争」を体験しました。しかし活動の基本は「機関決定―指令・指示」型の運動であり、個人的にはコツコツと「職場活動」「組合活動」を積み上げて行けば「全逓―総評―社会党」が「階級的に強化される」という「甘い」思想でした。また観念的な「ねば・べき」論が強かったと思います。
そういう意味で明確な「思想性=党派性」が弱かったことです。自分なりに「思想性」を作る努力をしましたが「全逓枠内」でした。「78~79越年闘争」頃までは「党派的」にも一定の「前進」がありましたが、「10・28確認」以降、「崩落」しました。
その中でも一定の「運動と組織」が作れたのは「権利の全逓」の財産があり、高度成長の終焉、第二臨調「行革合理化」の下で自分なりに「生命と権利」「生活実態討論」「職場反合闘争」という視点で「具体的」な課題を取り上げ、一定の運動を作り、教宣し、「小さな」成果を上げ、「小さな」組織作りをしてきたからだと思います。私が「固定番」だったことも一つの総括視点かなと思います。闘わなかったら辞めるしかない。その意味で「病気になったから日和らずに来られたのかな」と思います。これは微妙な「総括視点」です。しかし個人的「限界」でもありました。
 そして、それらに規定されて分会を超える「運動と組織」を作れなかったことです。支部的には少し影響力はありましたが、支部全体に「運動と組織」を拡げ定着させることはできませんでした。
また大きな反省は「地域交流」「地区労運動」という視点が全く無かったことです。これも「思想性=党派性」の欠如です。中郵支部が大きかった事、「郵政合理化」に直面した事なども理由の一つですが、正直なところ自分の活動意識の中に「地域労働運動」は全くありません。個人的には「千代田資本論」が私の小さな「地域交流」「地域活動」でした。
そして今、私の「総括」は「新たな情勢」の下で「思想性と大衆性」「具体化と組織化」
「既存労働組合運動とユニオン運動の連帯・共闘・団結」などを考えています。難しいことですが。  

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# by voice-up | 2012-03-23 09:02 | 労働

3・11県民大集会(郡山)に参加してきました

3月11日に郡山市の開成山球場で開催された県民大集会に参加しました。その報告を以下に簡単に。
(S・H)

  http://fukushima-kenmin311.jp/

 東北本線の郡山駅に着いたのが当日の午前十一時過ぎ。バスで会場の開成山野球場へ向かった。車窓から眺めると、駅前のロータリーの角にある大きな呉服店のシャッターが降りている。地方都市にシャッターが閉まったままの店が増えているのは3・11以前からのことではあるけれど、そこは目抜きである。震災と原発事故が福島県に与えた打撃の大きさが思われた。

 『伝送便』誌の読者を中心とした「脱原発郵政交流会」の一人として私は参加した。開会前に球場の裏手で郵便労働者同士の簡単な交流。関西からは二台の車を夜通し走らせてやってきた。そのうちに大型バスが次々到着して人が増えてくる(最終的には主催者発表で一万六千人が参加)。私たちも球場に入り一塁側の内野スタンドに席をとった。グラウンドの中央にステージが設けられていて、午後一時からオープニングコンサートが始まる。日音協の人たちの合唱のあと福島在住の詩人・和合亮一さんの詩が朗読され、それから加藤登紀子さんが登場した。翌日の新聞には六曲とあったがもっと歌ったような気がする。熱唱であった。「今日、全国で百万、いや千万のデモになりますように」との言葉を添えて『百万本のバラ』を歌い、最後のほうは歌でアジテーションをしているよう。その加藤さんの歌声に招かれるようにして集会呼びかけ人や大江健三郎氏が登壇して県民大集会は始まった。

 県民の訴えとしての六人の発言はどれも心に響いた。浪江町から避難している主婦は「浪江には事故の連絡がどこからも来なかった。原発を作らせなかったからでしょうか」。富岡から郡山に来ている女子高生「原発事故を収束させることができるのは事故現場の作業員。でも、被曝しながら働いているこの人たちは先生の知り合いだったり、友達のお父さんだ」「私たちを労わってくれるのはありがたいけれど避難民扱いされるということでもある。頑張れと言われるのは嫌」。

 二時四十六分に一分間の黙とう。三時を過ぎた頃から寒くなってきた。それまでおおむね晴れていたが、雲が陽射しを遮ると急に冷える。その雲がひろがってきた。ゴゴゴゴッと風の音。去年の今頃も寒い日が続いたのを思い出す。三時半からのデモが終わった五時過ぎには小雨まじりとなり、やがて雪に。その夜泊まった福島市郊外の民宿は、全逓労組OBの方が経営するもの。郵便局を退職してから飯館村に手打ちうどんの店を開いていたのが同村は避難区域になり去年六月に越してきた。まだ飯館にいた被災直後は、炊き出しをして避難していく人たちに握り飯をふるまったという。
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# by voice-up | 2012-03-16 11:44 | 社会

かつての全逓運動から学ぶもの

この講座に、私たちも参加するつもりです。そのご案内。

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「臨調行革」さなかの1980年代なかば、全逓信労働組合の東京中郵支部において、一分会の決断によって独自で闘われた反合理化闘争があります。その闘いをふりかえりつつ、今日における現場からの労働運動再生への道をさぐっていきたいと考えます。

HOWS講座
 かつての全逓運動から学ぶもの 
         ~一分会役員の経験から~

講師  山田 勇(元全逓東京中郵支部第一特殊郵便分会書記長)
進行  土田宏樹(JP労組新東京支部組合員)

3月10日(土) 午後1時 ~ 午後4時半

会場 HOWSホール

文京区本郷3丁目38-10 さかえビル2階(1階はコンビニのサンクスです。三叉路の角にある古い建物) 小川町企画内
(地下鉄丸ノ内線「本郷三丁目」下車。春日通りに面し、本郷消防署の向かい)
TEL 03-5804-1656

 本郷文化フォーラムワーカーズスクールhttp://www3.ocn.ne.jp/~hows/
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# by voice-up | 2012-03-05 20:43 | 労働

私たちはこう考える ~JP労組中央委を前に

今月初め、山口県で郵便事業会社の社員が配りきれなかった郵便物約三千通を隠していたとして逮捕された。二十三歳。封書や葉書を勤め先の車庫や自分の車の座席下に隠していたという。不祥事である。しかし、郵便の労働者がそうした状況に追い込まれているのも私たち郵便事業会社で働く者なら知っている。要員不足は慢性的だけれど、ことに昨年十月に行われた六十五歳以上の期間雇用社員一斉雇止めがそれに拍車をかけた。全国で約一万四千人もが職場を追われたのである。年齢による「定年」は元来、定期昇給や退職金のある正規雇用を前提としたものであって、そのどちらもない非正規雇用への一律適用は不当だ。雇止めされた人たちの労働権が奪われ、生活が破壊される一方で、人の減った職場では服務線表どおりの休息がとれない状態も生み出されている。新東京支店は集配課が無く内務の仕事ばかりだが、もし私が他の支店で勤務していて配達をやっていたとしたら、配りきれず持ち帰る事態を常態化させていたかもしれない。
 この十六~十七日に開催のJP労組第九回中央委員会では、私たちが置かれたこうした状況をふまえての議論が展開されるであろうか。事前に配布された議案書を読む限りでは否という他ないのは前回記事で述べたとおり。

  郵政改革法案に期待できるか

 その前回記事では、中央委議案がTPPについてウンともスンとも言っていないことにも疑問を呈した。その理由はおそらく、JP労組中央が目指す「郵政改革」なんて、TPPで吹っ飛ぶどころか、それと仲良く共存できる程度のものだからであろう。そういえば野田佳彦総理にしてからが、TPP推進を訴えた同じ舌で「郵政改革法案の成立」に尽力するともペラペラ述べたのであった。そんな「改革」でいいのか?
 一般には「郵政改革」はかつての小泉民営化と対立するものであるがごとくに受け取られている。たしかに、三年前の政権交代当時「民営化見直し」のエンジンだった亀井静香氏などにはそうした志向もあった。しかし、法案成立を至上命題として隠れ小泉連中と綱引きしたり狎れ合ったりしているうちにその志向はどこかに飛んでしまったようだ。彼が打ち出した「希望者全員の正社員化」が今やすっかり反故にされてしまったように。こんにちTPP推進派にも支持される「郵政改革」とは、「焼き直し小泉路線」のスタート以上ではない。

  三月十日に、こんな会があります

 であるならば、「郵政改革法案」の成立になにがしか期待をつないでも虚しいであろう。状況を切り拓くのは現場からの闘いを措いて他には無い。前記の六十五歳雇止めに対しては郵政ユニオンの労働者がその無効を主張して裁判闘争に立ち上った。支援し連帯したい。また三月十日(土)には都内で『かつての全逓運動から学ぶもの』と題する講座が行われる。その講師、Y・Iさんは我が新東京支店のOB。全逓東京中郵~新東京支部を通じて全逓内反対派の中心として活動されてきた方である。数年前に定年退職され、現在は地域ユニオンで労働相談にあたられている。私たちも助言をいただくことが多い。当日は、ことに中郵においてかつて闘われた分会独自の反合闘争の経験を中心に話をされる。今日に活かせるものがあるはずだ。私たちはこの講座に参加するつもりでいるし、多くの方が参加されることを呼びかけたい。(S・H)


HOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)講座

かつての全逓運動から学ぶもの 

     一分会役員の経験から


「臨調行革」さなかの1980年代なかば、全逓信労働組合の東京中郵支部において、一分会の決断によって独自で闘われた反合理化闘争があります。その闘いをふりかえりつつ、今日における現場からの労働運動再生への道をさぐっていきたいと考えます。

講師  Y・I(元全逓東京中郵支部第一特殊郵便分会書記長)
進行  T・H(JP労組新東京支部組合員)

3月10日(土) 午後1時 ~ 午後4時半

会場 HOWSホール

文京区本郷3丁目38-10 さかえビル2階(1階はコンビニのサンクスです。三叉路の角にある古い建物) 小川町企画内
(地下鉄丸ノ内線「本郷三丁目」下車。春日通りに面し、本郷消防署の向かい)
TEL 03-5804-1656

 本郷文化フォーラムワーカーズスクールhttp://www3.ocn.ne.jp/~hows/

●関連する記事として
▼『こんな議案でいいのか』(2012/02/01)
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# by voice-up | 2012-02-14 13:16 | 労働

こんな議案書でいいのか ~JP労組第9回中央委に

JP労組の第9回中央委員会の議案書が各家庭に郵送されてきたのは、先月の下旬に入った頃でしょうか。中央委員会は今月16~17日に仙台市で開かれます。議案を読んで思ったことを以下に書きつけます(S・H)。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

TPPに託したアメリカの狙いの主要なひとつは郵貯と簡保の郵政マネーを奪うことだとか、だからあの経済協定の進捗しだいでは「郵政民営化の見直し」なんて吹っ飛ぶと言われている。ならば当事者たるJP労組こそはTPP推進反対の旗を振るにちがいない、そう誰もが考えて不思議ではない。ところが第9回中央委員会の議案には、TPPという言葉自体がまったく登場しないのである。まるでそんなもの世の中に存在しないかのようだ。
これはどういうことだろう。わが労組の中央本部の人たちはそれほど世の中の動きに関心がないのだろうか。まさか。労働現場を離れて組合運動でメシを食っている人たちだ。そんなわけはない。では、どういうことなのか。考えられるのは、JP労組中央の目指す「郵政改革」「民営化見直し」なんて、マスコミの解説するところとは違って、案外TPPと共存できるものなのではないか、ということだ。

 TPPになぜ触れないのか

TPPが目指すのは自由市場万能の放任経済、つまり強いもの勝ちの資本主義である。だから保護や規制はすべて取り払わせようとする。「規制」というと何かに縛られているみたいで、この言葉にマイナスイメージを持つ人もいるかもしれないけれど、そこには食の安全や母性の保護や、あるいは労働者がこき使われ過ぎて命を縮めないための労働法制(労働時間規制とか)も含まれているのである。これらは私たちに必要なものだ。非正規雇用の際限のない拡がりや正規と非正規のあまりの格差を規制しようとする動き(まだまだ弱いけれど、最近になって、そういう動きもようやく出始めた)も、そう。TPPはこれを目の敵にする。
TPPのこうした方向に近いものを2000年代なかばに国内で打ち出したのが小泉純一郎・元総理の「改革」だった。実際、企業が正規採用にしぶくなって非正規雇用が急増し出したのは小泉政権のときから。郵政ではそれは民営化となって「結実」したわけだけれども、やりすぎが祟ったか三年前の政権交代で足踏みする。だから、小泉改革を今も支持する人たち(一般に新自由主義者と呼ばれている)は、TPPを絶好の追い風としてまた走り出したい。
問題は、そんなふうに走らせていいのか、ということ。走り出そうとする列車の前に立ちふさがるのがJP労組の役目ではないだろうか。しかるに、この労組中央は自分も同じ列車に乗ってうまく立ち回ろうとしているのだ。それでいいのか。労働者を切り捨てていく路ではないのか。

 労働者被曝から目をそらすな

議案書に話を戻せば、中央委員会の任務として①組織基盤の強化、②2012春闘の方針確立、③郵政改革の対応方針およびその裏づけとなる政治基盤強化の方針確立、④グループ各社および関連事業部門の当面の対応方針の確立、の四点を挙げ、以下、項目にそって空疎な言葉が並ぶ。
その空疎さが極まるのは東日本大震災にふれるくだり。被災地への支援に取り組んできたのはよい。ところが原発事故についてはまったく素通りしているのだ。今年に入っても下請け企業の60代の作業員が心肺停止で死亡するなど事故現場では働く者の命が今も日々削られているというのに。被災地周辺で集配業務に従事していた郵便労働者もまた被曝労働を強いられたというのに。この労組はこれまで、「人事交流」という名の強制配転によって少なからぬ労働者が退職や自殺に追い込まれたことにも、深夜変則勤務による健康破壊にも知らぬ顔を決め込んできた。今また放射能被曝と過酷労働の問題でも同じ態度をとろうというのか。

 「新たな人事・給与制度」考

「交渉課題」の冒頭に挙げられている「新たな人事・給与制度への対応」では、空疎ではなく奇妙な文章に出くわす。
「会社の・・・基本的な考えを引き出したところ」
と書き進めながら、
「『メリハリのある人事・給与制度』へと早急に転換することにより、社員のモチベーションを高め、生産性を向上させることが喫緊の課題になっています」。
つまり、引き出された会社の考えを記述するはずが、いつのまにか議案の書き手の意見吐露にすりかわってしまった。言葉尻をとらえたくてこういうつまらない引用をするのではない。彼と我との区別がつかないほどにJP労組中央の頭の中では労使一体化が進んでいることの、これはかなしい例なのだ。なお、会社と労組幹部がいかに言いくるめようと、「新たな人事・給与制度」の狙いが人件費の大削減にあり、働く者に差別と分断を持ち込むことであること、申すに及ばず。
JP労組中央は、会社の業績を回復させないことにはどうにもならぬという強迫観念に囚われてしまったようだ。しかし、宅配便統合の失敗を最大原因とする赤字化こそは、労組の思考をここにいっそう誘導すべく会社が仕掛けたところの、いま話題の書物の名(ナオミ・クライン著)を借用すれば「ショック・ドクトリン」に他ならなかった。

 上部機関に現場の声をぶつけよう

熟読するに耐えぬ議案書ではあるけれど、これを鼻先で嗤ってゴミ箱に投じることですますわけにはいかぬ。この労組がいかなる路線をとるかにわれわれ郵政で働く者の生活がかかっているからだ。たとえば被災地で被曝労働を強いられる仲間の健康を守る闘いに取り組ませるべく、現場から上部機関に声をぶつけよう。『伝送便』誌去年11月号に掲載された福島現地ルポはその貴重な武器として活用できる。JP労組内外になお少なくない志ある仲間と手を携えて進みたい。
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# by voice-up | 2012-02-01 15:00 | 労働

非正規日常~「単純作業」を労働することは単純ではない

 わたしは、郵便小包を扱う支店で働く非正規―期間雇用労働者だ。六ヶ月という「契約期間」を繰り返し更新し続けて五年になる。周りには十年近くあるいは十年以上という人もざらにいる。実態は常雇いであり、非正規という身分にしておくための有期雇用だ。
 近県の各局で引き受けた小包がいったんここに集められ、区分しなおして送り出す。職場で「ゆうメイト」と呼ばれるわたしたち非正規が、現場作業全般を担う。
 大小様々な形の小包がぎっしり詰まった「パレット」と呼ばれる車輪のついたハコを、トラック到着口からフロア内部まで引っ張り込む。到着口との間を何十往復もしながら、区分機のベルトコンベア前にパレットを隙間なく陳列する。十人ほどのゆうメイトがベルト脇に並び一斉に小包を流していく。とりわけここは「スピードアップ」をうるさく言われる中で、酒瓶などの割れ物が入っていないかどうか、持ったときの感覚や品名欄を確かめながら流す。
 ベルトに流された小包は、五~六県ごとに分かれた作業台へと滑り落ちる。作業台の上にぐしゃりと積みあがった小包の山を一つずつ崩しながら、送り先別に設置された空のパレットに積みこんでいく。軽い物がつぶれないよう、トラックで運送中揺れて崩れ落ちないよう、立体のパズルを組み立てるように積んでいく。トラック出発時刻と落ちてくる小包に追われる現場だ。
 わたしたちの労働の場面のいくつかを大掴みに書いてみたが、「流し」「積み込んで」などの言葉の向こうでわたしたちの汗は流れている。その一言をやるために、いくつもの細かい肉体の動作があり、周囲への気遣いや口論があり工夫がある。
 一連の作業は細かく分けられ、その最小単位労働にわたしたち一人一人がついて、全体の作業の流れをつくっている。小包一つにいくつもの目視確認が注がれ、いくつもの手が触れ手から手を渡ってこの場所を小包が通過していく。
 細分化された作業ではあるが、働くわたしたちが細分化されているわけではない。人同士は連携して作業横断的に協力しあう。人と人、作業と作業の隙間を埋めるような働きが現場を動かしている。それは、ただ業務を遂行するためではなく、互いの負担を減らすことになるから大切なのだ。それは、労災の要因である疲労による注意力・集中力の低下を防ぐことに直結する。
 もちろん皆が皆最初から協力的なわけではないし、周りを無視するような人もいる。そこで、話し合うことこそ面白い。意見が合わないといっても別れられない、それでも現場を共にする仲間なのである。だから互いに顔を突き合わせて一番協力しあえる道を模索しなければならない。一つの業務のやり方を通してぶつかっているのは、互いの人間観や世界観であることが多い。そこには労働者同士が批評しあい教えあう、「教育」とも言えるような機能があると感じるのだ。

●「ひと山いくらの俺たちだけどよ~」
 たしかに、そうしたわしたちの働きは、会社の推し進める業績アップ策にからめとられるところが大きい。結局ここで一生懸命働くことは、機械の一部になって、労働者同士差をつけ合う競争に投げこまれるだけだと思い、極力怠けようとしていた時期もわたしは長かった。
 しかし、そうして一人でさぼっていると、どんどんぼぉっとして周りが見えなくなり状況に鈍感になる。それでは隣人が本当にどんな助けを求めているか気づけない。しかも、百パーセント非正規に任された部署が多い職場では、非正規同士で仕事の細かい進め方まで議論し実行していく必要がある。その中で、ぼぉっとしてどっちつかずの態度をしていては労働を通じた信頼関係など作れない。現場にいるということは、どんなに小さなことでも判断と決定が求められるのだと気づかされた。それには職場の全体と詳細をよく知り考えていなければならない。わたしは単に手を抜いていただけで、それは要求を掲げて共同してやるサボタージュとまったく違う。
 それに、ある意味「平等」なほど、ゆうメイトの働きは会社に見られていない。全体としては監視されているが、一人一人の働きをチェックして賃金評価に反映させるといったご丁寧な扱いは受けていない。「ひと山いくらの俺たちだけどよ~」と同僚が喋っているのを聞くことがあるが、その通り、わたしたちは、いわゆる「能力主義」とは別の尺度ではかられている。「スキル評価」なる賃金査定があるものの、概ねおざなりで、がんばっても怠けても変わらない賃金が現状だ。基準も曖昧な「評価」で非正規をランクづけし、十円単位の差がつけられていることは酷い事実である。が、そうして何万人という非正規全体の賃金を低く低く押さえ込み、正規と倍以上の格差をつけている大状況こそが問題なのだ。
 また、会社のリズムにびったり合わせて働いているように見える同僚でも、本当は矛盾を感じているが他にしようがないから表に出さないだけだと、ぽつぽつ言葉を交わす中で感じられる。
 だったらここで、やれること、やるべきことは何か。
 どんな小さな作業でも手を抜かずにやることを突き抜けて、現場の様々な矛盾――それを辿れば会社の労働者無視の方策にぶち当たる。それを改変させていくようにわたしたちが主張していくことは、会社の取り込みを食い破っていく可能性をはらんでいるのではないか。

●ひとつの実践から
 例えば、現場作業の方法についてこれまで何度も仲間と意見書を出してきた。それはベルト前にパレットを引き込む際のパレットの“向き”であるとか、作業台周りのパレットの並べ方についてなど、ごくごく小さなことから始まる、しかし作業する身にとっては必要な変更を求める意見だ。それほど会社側は、現場作業に無知でとんちんかんな指示を出してくるのだ。それがどんなに現場に疲労とストレスを増幅させていることか。しかしそれが「採用」されることはない。管理者間の会議に上げられたそうだが、それがどう検討されたのかも音沙汰はない。
 では質問しようと、意見書をつくった仲間のうち二人で会社に聞きに行こうにも、勤務帯が少しずれているだけで、二人で行動できる時間は無いに等しい。二人以上で行動できないほどにわたしたちは、個別ばらばらにされていることに改めて気づかされた。少しずつずれながら設定されている非正規の勤務時間は、労働運動防止に効果大だ。
 会社に「採用」されなくても、現場では自分たちのやり方が広がり定着している。それは良いことだが、何か事故があったときに、現場が勝手にやったのだと責任転嫁してくる会社の姿勢はこれまで一貫している。だから、現場業務について会社と対等に話し合い、わたしたちの声を現場に反映させることを会社に認めさせる必要がある。そうした現場交渉権を得るにはまず、わたしたちがつながらなければならない。わたしたちは身近な要求を通じて、さらに一つ先の権利に目覚めていく可能性をもっている。しかし、つながる前段にいる。


●期間労働者は基幹労働者だ
 現場での協働を見なければ、わたしたちの労働は一見単調で反復が多いように見える。たしかに作業だけを抜きとれば単調だ。しかし、それを労働することは、決して単調にも反復にもならない。誤区分や破損を防いだり、配達希望日時を守るといった、この職場の根本的な役割は誰の手で果たされているかといえば、わたしたち非正規の手なのである。
 一日数時間、連日の労働は、消耗もするし、集中力や意欲が落ちることもある。それをいかに持ち直しつつ継続していくか、そこを支えているのは、一人一人の労働に対する誠実さだと感じる。
 いくらでも手を抜こうと思えば抜ける。不思議なほどだ。多くの人がなぜそんなに真面目なのか。監視があるとはいえ限られている。がんばっても賃金に反映されるわけでなし、加えて現場は無理をやらされ割りに合わないからと、皆がもし適当にこなしにかかれば、誤区分も破損も遅配も格段に増えるだろう。しかし、そうならないのはなぜか。そこには、会社に対する無批判や従順さなどがないまぜになってもいるが、しかしそれだけではない。ごまかしなく真面目に働きたいという思いがあるからだ。それ自体は大切な良心ではないだろうか。
 一つたがをはずせば一気にどうでもよくなって崩れ落ちるような危うさと、背中合わせの現場でもある。そこに自分自身で歯止めをかけている。その中に、労働者としての誠実さがある。それを認め合うことによって互いが互いの歯止めになることができるのが、現場の力ではないだろうか。
 それさえも、不当な雇用によって、くすまされ埋もれさせられ、つぶされて無くしてしまってもおかしくない現場だ。しかしそうした場所にありながらも、わたしたちがそれを無くしていないという事実は、現場の光だ。それを絶やさないことが、ゆがまされた労働することの意味を取り戻していく道ではないだろうか。
 わたしたちは、それを足がかりにして堂々と主張することができるはずだ。わたしたちの働きに比して、賃金が少なすぎると。わたしたちが基幹労働者だと。偽りの「6ケ月契約」をやめて、実態に合わせた無期雇用にすべきだと。もう声を出すだけだ。隣人と声を合わせるだけだ。
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# by voice-up | 2012-01-22 09:47 | 労働

ゆうメイトの賃金は上がらなくて当たり前?-ゆうパック職場から

非正規(ゆうメイト)の賃金もベースアップするべきだ。
非正規の「基礎賃金」1000円固定はおかしい。漸増すべきだ。

しかし、現場には、「非正規の賃金は上がらなくて当たり前」という雰囲気がある。
この雰囲気を破るには、当事者の非正規自身が主張しなければ、誰も代わりには言ってくれない。

この時給で6時間じゃ手取り12万、一人暮らしできないぞ。
1150円頭打ちの賃金は低すぎる。労働の内容に見合っていないぞ! 上限撤廃!
長期ゆうメイトは「腰かけ」じゃないぞ。実態は常雇いなのに、「6ケ月契約」を繰り返すなんておかしい。
低賃金に止めておくための期間雇用をやめ、無期契約にすべきだ。
現場の働きからいって、正社員とゆうメイトの待遇格差があり過ぎる。
ゆうメイトの労働は正規化しているのに、賃金は低いまま。格差をなくす方向で、正規・非正規の給与を根本的に見直すべきだ。
会社の言う「職場風土の改革」とは、一番底辺で現場を担うゆうメイトの声を聞き入れなければ始まらない。
jp労組は、ゆうメイトの待遇改善に取り組むべし!

いつも、現場で感じること。
職場はゆうメイトでまわっている。
ゆうメイトだけの部署が9割。
仕事の内容からいったら、正規と非正規の境目はない。
逆にゆうメイトが職場では「正規」―基幹労働をになっている。
だったら、この賃金の差はあり過ぎる。
新人本務者でも倍以上。
例えば、フランスの非正規は、正規と退職金やボーナスなどの待遇は平等だ。
賃金も原則、勤務時間で決まる。
40時間働く正規と30時間働く非正規なら、非正規の給料は4分の3。
日本みたいに、正規になれば跳ね上がるなんておかしいのだ。
そんな現場の働きを無視した通念、どう考えてもおかしいじゃないか。
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# by voice-up | 2012-01-11 19:40