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非正規日常~「単純作業」を労働することは単純ではない

 わたしは、郵便小包を扱う支店で働く非正規―期間雇用労働者だ。六ヶ月という「契約期間」を繰り返し更新し続けて五年になる。周りには十年近くあるいは十年以上という人もざらにいる。実態は常雇いであり、非正規という身分にしておくための有期雇用だ。
 近県の各局で引き受けた小包がいったんここに集められ、区分しなおして送り出す。職場で「ゆうメイト」と呼ばれるわたしたち非正規が、現場作業全般を担う。
 大小様々な形の小包がぎっしり詰まった「パレット」と呼ばれる車輪のついたハコを、トラック到着口からフロア内部まで引っ張り込む。到着口との間を何十往復もしながら、区分機のベルトコンベア前にパレットを隙間なく陳列する。十人ほどのゆうメイトがベルト脇に並び一斉に小包を流していく。とりわけここは「スピードアップ」をうるさく言われる中で、酒瓶などの割れ物が入っていないかどうか、持ったときの感覚や品名欄を確かめながら流す。
 ベルトに流された小包は、五~六県ごとに分かれた作業台へと滑り落ちる。作業台の上にぐしゃりと積みあがった小包の山を一つずつ崩しながら、送り先別に設置された空のパレットに積みこんでいく。軽い物がつぶれないよう、トラックで運送中揺れて崩れ落ちないよう、立体のパズルを組み立てるように積んでいく。トラック出発時刻と落ちてくる小包に追われる現場だ。
 わたしたちの労働の場面のいくつかを大掴みに書いてみたが、「流し」「積み込んで」などの言葉の向こうでわたしたちの汗は流れている。その一言をやるために、いくつもの細かい肉体の動作があり、周囲への気遣いや口論があり工夫がある。
 一連の作業は細かく分けられ、その最小単位労働にわたしたち一人一人がついて、全体の作業の流れをつくっている。小包一つにいくつもの目視確認が注がれ、いくつもの手が触れ手から手を渡ってこの場所を小包が通過していく。
 細分化された作業ではあるが、働くわたしたちが細分化されているわけではない。人同士は連携して作業横断的に協力しあう。人と人、作業と作業の隙間を埋めるような働きが現場を動かしている。それは、ただ業務を遂行するためではなく、互いの負担を減らすことになるから大切なのだ。それは、労災の要因である疲労による注意力・集中力の低下を防ぐことに直結する。
 もちろん皆が皆最初から協力的なわけではないし、周りを無視するような人もいる。そこで、話し合うことこそ面白い。意見が合わないといっても別れられない、それでも現場を共にする仲間なのである。だから互いに顔を突き合わせて一番協力しあえる道を模索しなければならない。一つの業務のやり方を通してぶつかっているのは、互いの人間観や世界観であることが多い。そこには労働者同士が批評しあい教えあう、「教育」とも言えるような機能があると感じるのだ。

●「ひと山いくらの俺たちだけどよ~」
 たしかに、そうしたわしたちの働きは、会社の推し進める業績アップ策にからめとられるところが大きい。結局ここで一生懸命働くことは、機械の一部になって、労働者同士差をつけ合う競争に投げこまれるだけだと思い、極力怠けようとしていた時期もわたしは長かった。
 しかし、そうして一人でさぼっていると、どんどんぼぉっとして周りが見えなくなり状況に鈍感になる。それでは隣人が本当にどんな助けを求めているか気づけない。しかも、百パーセント非正規に任された部署が多い職場では、非正規同士で仕事の細かい進め方まで議論し実行していく必要がある。その中で、ぼぉっとしてどっちつかずの態度をしていては労働を通じた信頼関係など作れない。現場にいるということは、どんなに小さなことでも判断と決定が求められるのだと気づかされた。それには職場の全体と詳細をよく知り考えていなければならない。わたしは単に手を抜いていただけで、それは要求を掲げて共同してやるサボタージュとまったく違う。
 それに、ある意味「平等」なほど、ゆうメイトの働きは会社に見られていない。全体としては監視されているが、一人一人の働きをチェックして賃金評価に反映させるといったご丁寧な扱いは受けていない。「ひと山いくらの俺たちだけどよ~」と同僚が喋っているのを聞くことがあるが、その通り、わたしたちは、いわゆる「能力主義」とは別の尺度ではかられている。「スキル評価」なる賃金査定があるものの、概ねおざなりで、がんばっても怠けても変わらない賃金が現状だ。基準も曖昧な「評価」で非正規をランクづけし、十円単位の差がつけられていることは酷い事実である。が、そうして何万人という非正規全体の賃金を低く低く押さえ込み、正規と倍以上の格差をつけている大状況こそが問題なのだ。
 また、会社のリズムにびったり合わせて働いているように見える同僚でも、本当は矛盾を感じているが他にしようがないから表に出さないだけだと、ぽつぽつ言葉を交わす中で感じられる。
 だったらここで、やれること、やるべきことは何か。
 どんな小さな作業でも手を抜かずにやることを突き抜けて、現場の様々な矛盾――それを辿れば会社の労働者無視の方策にぶち当たる。それを改変させていくようにわたしたちが主張していくことは、会社の取り込みを食い破っていく可能性をはらんでいるのではないか。

●ひとつの実践から
 例えば、現場作業の方法についてこれまで何度も仲間と意見書を出してきた。それはベルト前にパレットを引き込む際のパレットの“向き”であるとか、作業台周りのパレットの並べ方についてなど、ごくごく小さなことから始まる、しかし作業する身にとっては必要な変更を求める意見だ。それほど会社側は、現場作業に無知でとんちんかんな指示を出してくるのだ。それがどんなに現場に疲労とストレスを増幅させていることか。しかしそれが「採用」されることはない。管理者間の会議に上げられたそうだが、それがどう検討されたのかも音沙汰はない。
 では質問しようと、意見書をつくった仲間のうち二人で会社に聞きに行こうにも、勤務帯が少しずれているだけで、二人で行動できる時間は無いに等しい。二人以上で行動できないほどにわたしたちは、個別ばらばらにされていることに改めて気づかされた。少しずつずれながら設定されている非正規の勤務時間は、労働運動防止に効果大だ。
 会社に「採用」されなくても、現場では自分たちのやり方が広がり定着している。それは良いことだが、何か事故があったときに、現場が勝手にやったのだと責任転嫁してくる会社の姿勢はこれまで一貫している。だから、現場業務について会社と対等に話し合い、わたしたちの声を現場に反映させることを会社に認めさせる必要がある。そうした現場交渉権を得るにはまず、わたしたちがつながらなければならない。わたしたちは身近な要求を通じて、さらに一つ先の権利に目覚めていく可能性をもっている。しかし、つながる前段にいる。


●期間労働者は基幹労働者だ
 現場での協働を見なければ、わたしたちの労働は一見単調で反復が多いように見える。たしかに作業だけを抜きとれば単調だ。しかし、それを労働することは、決して単調にも反復にもならない。誤区分や破損を防いだり、配達希望日時を守るといった、この職場の根本的な役割は誰の手で果たされているかといえば、わたしたち非正規の手なのである。
 一日数時間、連日の労働は、消耗もするし、集中力や意欲が落ちることもある。それをいかに持ち直しつつ継続していくか、そこを支えているのは、一人一人の労働に対する誠実さだと感じる。
 いくらでも手を抜こうと思えば抜ける。不思議なほどだ。多くの人がなぜそんなに真面目なのか。監視があるとはいえ限られている。がんばっても賃金に反映されるわけでなし、加えて現場は無理をやらされ割りに合わないからと、皆がもし適当にこなしにかかれば、誤区分も破損も遅配も格段に増えるだろう。しかし、そうならないのはなぜか。そこには、会社に対する無批判や従順さなどがないまぜになってもいるが、しかしそれだけではない。ごまかしなく真面目に働きたいという思いがあるからだ。それ自体は大切な良心ではないだろうか。
 一つたがをはずせば一気にどうでもよくなって崩れ落ちるような危うさと、背中合わせの現場でもある。そこに自分自身で歯止めをかけている。その中に、労働者としての誠実さがある。それを認め合うことによって互いが互いの歯止めになることができるのが、現場の力ではないだろうか。
 それさえも、不当な雇用によって、くすまされ埋もれさせられ、つぶされて無くしてしまってもおかしくない現場だ。しかしそうした場所にありながらも、わたしたちがそれを無くしていないという事実は、現場の光だ。それを絶やさないことが、ゆがまされた労働することの意味を取り戻していく道ではないだろうか。
 わたしたちは、それを足がかりにして堂々と主張することができるはずだ。わたしたちの働きに比して、賃金が少なすぎると。わたしたちが基幹労働者だと。偽りの「6ケ月契約」をやめて、実態に合わせた無期雇用にすべきだと。もう声を出すだけだ。隣人と声を合わせるだけだ。

by voice-up | 2012-01-22 09:47 | 労働
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